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常に問いを立て続けることで、「人間とは何か」を考えていく

日本学術振興会特別研究員 大場 千景さん
2002年 法政大学 社会学部卒業

  • 2016年10月11日 掲載
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  • 卒業生紹介

「無文字社会における『歴史』の構造─エチオピア南部ボラナにおける口頭年代史を事例として」の論文で、第10回日本文化人類学会奨励賞を受賞した日本学術振興会特別研究員の大場千景(おおばちかげ)さん。

2002年に社会学部を卒業し、2005年からアフリカのエチオピアで活動を続けています。文化人類学を選んだ理由、フィールドワークの大切さをはじめ歴史認識の比較研究について熱く語っていただきました。

日本と全く違う社会があるのならばこの目で見たい

田中 「無文字社会における『歴史』の構造─エチオピア南部ボラナにおける口頭年代史を事例として」の論文で、第10回日本文化人類学会奨励賞を受賞されました。おめでとうございます。

大場 ありがとうございます。この論文では、エチオピア南部ボラナ社会の人たちの口頭での伝承を分析し、彼らの歴史認識のあり方や歴史の創出、再編の実態を明らかにすることをめざしました。2005年より8年間ほどエチオピア南部でフィールドワークを続けてきた成果がこのような形で評価され、大変うれしく思っています。一昨年、『無文字社会における歴史の生成と記憶の技法 口語年代史を継承するエチオピア南部ボラナ社会』(清水弘文堂書房)を上梓し、今年英訳も刊行されました。英語版の翻訳では、法政大学で英語を教えておられていたネイティブの先生方にご協力いただき、感謝しております。

田中 大場さんは本学社会学部出身ですね。

大場 2002年の卒業生です。田中先生の講義にも出ていました。

田中 そうでしたか。平野秀秋名誉教授のゼミ生でいらしたんですよね。

大場 1年生時に受講した平野先生の「比較文化論」に大きな衝撃を受け、2年間同じ講義を受けたくらいです(笑)。講義はまず「今、君たちはジャングルにいると想定してください」という言葉から始まり、「そこには何があるのか」、「社会的単位はどうなっているか」、「文化がある社会とはどのようなものか」といった内容が続き、近代になって国家というものが成立するにつれて、文化が崩壊していくプロセスが示されました。講義を聴きながら、自分の心が遠くに運ばれていくような感覚となり、「私も遠くに行ってみたい」と強く思ったんです。日本とは全く違う文脈で成立している社会がもしもあるのならば、この目で見てみたい。近代化という流れにのみこまれず、独自の生き方をしっかりと持っている人たちがいるのならば、会ってみたい。日本に生まれ、まだ確固とした形がない自分だったからこそ、そういう社会に惹かれたんだと思います。

田中 お話を伺い、私も大学生の頃を思い出しました。大場さんととても良く似た状況でした。近代のことを学びたくて大学に入ったものの、学んでいくうちに何か変だなという感覚を持った。そんななか、江戸文化に出会ってしまった。そこは、近代とは全く違う価値観を持った世界。「人間って、こんな価値観を持てるものなんだ」「個人、自我といった近代的な概念がなくてもこんなにいきいきと生きられるんだ」と衝撃を受け、この時代についてもっと知りたいと思ったんです。何もわからないのに、何かがわかったような感覚もあり、それを確かめたいし、言葉にしたい。大場さんも同じだったんじゃないですか。

大場 はい。まさに同じような感覚だったと思います。

第一次資料から自分で考えていきたい

田中 卒業後は大学院へ行かれたんですか。

大場 アフリカの牧畜民のところでフィールドワークをしたいという希望を持ちながら学び続けていこうと考え、文化人類学の専攻がある国立の大学院をいくつか受験したものの、試験が大変苦手なので何度も落ちてしまいました。大学院であまり聞いたことがないかもしれませんが、その後、結局二浪することになりました。そういうわけで、大学院の修士課程に入るまでの間、仕方がないので、聴講生として京都大学に入り、まずは日本でフィールドワークをしようと若狭湾の半島で二年くらい漁村の調査をしました。回り道でしたが、このときの経験は今に生きていると思います。その後、京都府立大学大学院に入ることができ、やっと、アフリカの牧畜民の研究をはじめることができるようになったのです。このとき一年間ほど、エチオピア南部の村落で現地の人々とともに暮らしながらフィールドワークを行いました。そして、20世紀をとおして新しく出現した市場や町場がどのようにそれまでの牧畜文化を変化させていったのか、文化の変容をテーマとして修士論文を書きました。その時、私は理論を研究するのではなく、第一次資料から自分で考えていきたいんだということがはっきり見えたんです。

田中 研究対象としてエチオピアを選んだポイントは。

大場 エチオピアは、植民地だった期間が5年程度と短かったために昔ながらの文化が残っていると考えたことです。エチオピアは、かつて王国があって4世紀からキリスト教の影響のある北部と、北部の王制をもつ社会とは違う、自律的な社会が複数存在した南部とに分けられます。私はこの南部の方で調査を行いました。

田中 長い間、無文字社会だったというのも興味深いですね。

大場 そうなんです。1940年代より北部の文字であるゲエズ文字を使ったり、1990年以降はアルファベットの使用が一般化してきておりますが、それ以前はずっと文字を使わずに暮らしていました。ここのボラナという民族が600年ほどの自分たちの歴史を語ることができるのですが、文字を使うことをしないで一体どのように歴史を記憶し、共有したのか。そのメカニズムを知りたいと思い、語り手たちが代々伝承してきた話を調査し、記録することから始めました。

田中 私も著書を拝読しましたが、ボラナの歴史は社会階層も重要であり、ものすごく複雑なものが織り込まれて成り立っていますね。時間軸や空間的な考え方が循環型で、西洋のような一直線型ではない。

大場 はい。語り手は、循環型の歴史観に基づいて、歴史を記憶したり、創出したりしていました。創作と記憶が一体となっているんです。

田中 歴史って結局そういうものなのかもしれませんね。いろいろあったんだけど、誰かがピックアップしてヒストリーにしている。日本の歴史書である『古事記』は一人の人が一つの筋書きを語っていますが、『日本書紀』は同じ出来事に関して4つも5つも併記していて筋書きにはなっていません。

大場 読み手が解釈するという考え方ですね。

田中 正式な歴史を『日本書紀』としたことから、古代の日本人は歴史にはいろいろな解釈があるものと認識していたことがうかがえます。ところがある時期から、『古事記』の方が日本の歴史だという流れになる。筋書きを一本にまとめたがる動きは、まさにナショナリズムですよね。

一方、循環型の歴史ということでは、『仮名手本忠臣蔵』と『太平記』の関係を思い出しました。『仮名手本忠臣蔵』の事件がどうして起こったかを解釈する際、浄瑠璃作家たちは『太平記』を持ってきた。その前にも何通りもの物語を使ったんです。『仮名手本忠臣蔵』を演じる際は、役名は全て『太平記』の登場人物名。ここには、まさに人間は同じことを繰り返すという認識が見えます。

大場 日本でもそういう歴史認識や解釈があったなんて知りませんでした。とても興味深いお話です。日本やアフリカ、その他の地域の歴史認識のあり方を比較してみていくことで、もっと何か面白いことがわかってきそうですね。

日常を超えたところに未知の世界が広がっている

田中 研究者をめざすにいたったきっかけは。

大場 高校生までは、手堅く資格を取ってどこでも生きて行けるようになろうと漠然と考えていました。ところが、高校3年生で当時流行した哲学の入門書の『ソフィーの世界』を読んでから、世界が変わって見えたんです。この世は目に見える世界だけではない。日常を超えたところに未知の世界が広がっていることを初めて感じた。自分なりに知らない世界と対峙していきたいと考え、研究者になろうと決めたんです。また、大学2年生の時には江戸時代に書かれた農書を人類学的視点で分析しながら、日本の農民の自然観が江戸から明治にどう変化したかということについて考えました。そして、『農的規範と近代』というテーマで論文を書き、法政大学の懸賞論文で努力賞をいただき、研究者を目指す自信になりました。

田中 文化人類学を選ばれたのは。

大場 私の研究は大学で「社会とは何なのか?」という問いを立てたことから始まりましたが、既存の学問で想定されている社会が西洋の近代化された社会でしかないことに気づいたんです。他にも多くの社会が存在するはずなのに、一つの理論でまとめようとすることに違和感を抱きました。でも、文化人類学は扱っている社会が多種多様ですし、しかも、自分でつかみ取ったデータから考えられる。私に合った分野だと思ったんです。

田中 大場さんは、自分が見ている世界をどうやって組み立てていけばいいかを常に考え続けてきたんですね。もしかしたら、文化人類学の枠にも収まりきらないかもしれない。

大場 私のなかで昔から変わらずにある大きな問いは、「人間とは何か」。この問いに最終的な答えはみつからないかもしれません。むしろ、答えなどでないほうがいいのかもしれません。重要なことは、人間というものを多面的な側面から考えて、理解しようと努力することが大事なのだと思います。

田中 フィールドワークの良さって何でしょう。

大場 フィールドワークは自分で集めたデータを分析して行く地道な研究です。間違ってもいいから重要だと思えるデータをとりあえず集め、後で間違ったことに気づいたら、何を間違ったのかを検証し、そこからまた組み立ていく。間違えることを恐れないことで、自分の感性を大切にすることを学びますし、目の前で起こっている事について自分自身のやり方で理解を深めていくことができる。そして自分の見解と他の人々の見解とを比較することで考え方の多様性を知ることもできる。そうした作業を日々積み重ねることで、現実への理解の精度あげていくことができると思います。

田中 問いを立てる力。自分で考える力。フィールドワークの力は社会に出たら必要なものばかりですね。

大場 日本の若い人にも、ぜひ世界に積極的に出ていってほしいですね。日本にいたら見えないことはたくさんある。ガイドブックやスマートフォンに頼らず、自分の直感を信じて世界を見てほしいです。

田中 今後の目標は。

大場 現在、エチオピア北部にもフィールドを広げ、歴史認識の比較研究に着手しています。今、考えていることは、歴史認識の問題だけではなくて、エチオピア北部と南部で収集した口承史やその他のデータを比較的に分析しながら、18世紀のエチオピアの歴史を書くことにも挑戦したいです。読んだ人に社会や日常を違う角度で見る視点を提供し、驚かせたい。それが研究者の存在意義ですから。

田中 その驚きが、勉強の意欲を失わない人たちの新しい問いになっていくのだと思います。大場さんの今後のご活躍を心から期待しています。本日はありがとうございました。

*大場千景さんの著書は日本語版、英語版ともに、法政大学図書館に所蔵されています。


HOSEI ONLINE(http://www.yomiuri.co.jp/adv/hosei/)から転載

大場 千景(おおば ちかげ)さん

日本学術振興会特別研究員
2002年 法政大学 社会学部卒業
1978年 茨城県水戸市生まれ


2005年よりエチオピア南部ボラナ社会においてフィールドワークに従事。2012年総合研究大学院大学文化科学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。
著書『無文字社会における歴史の生成と記憶の技法ー口頭年代史を継承するエチオピア南部 ボラナ社会』のもととなった博士論文で同大学より長倉研究奨励賞を受賞。

現在は日本学術振興会特別研究員として、エチオピア南部だけでなく北部にも フィールドを広げ、歴史認識の比較研究に着手している。

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